広島・長崎がアメリカによる原爆投下で被爆してから69年目となる今年、8月4〜6日に広島市で開催された「原水爆禁止世界大会」に名水労から松枝中央執行委員を団長に、配水の若手組合員を中心とした代表団4名を派遣しました。
原水爆禁止世界大会会場
初めて原水爆禁止世界大会に参加し、今まで写真や映像でのみの知識が、自分の目で慰霊碑や原爆資料館を見たり、被爆者の話を聞いて、戦争での原爆の悲惨さを痛感しました。
今後、同様の悲惨な体験をする人を出さないためにも、世界から原水爆をなくすことがとても大切なことだと考えさせられました。
原水爆のみでなく、原発も思わぬ放射能事故を起こし、被曝者が出てしまう可能性があるので、原発に対しても世界からなくす必要があることを痛感しました。
これまでの原爆の知識は、犠牲者が非常に多いことくらいだったが、今回初めて広島に行き、被爆者の体験談を聞き、人が死ぬということがこれほど簡単に起きてしまうということ、残された遺族の長年の苦しみというのが、現在の日常生活では考えられないことだと痛感した。
原爆ドーム、資料館のことは知っていたが、それ以外にも原爆の爪痕を残すという意味も含め数々の石碑があった。資料館では爆風範囲の展示や実寸大の原子爆弾があり、こんなに小さい物がこれほど多くの命を奪うのかと印象的だった。
また、石碑には亡くなられた方の悲しいエピソードや生き残ったことに苦しむエピソードなどがあり、広島の人々の原爆を忘れまいという気持ちと二度と起こしてはならないという強い気持ちが伝わってきた。
また、外国人も非常に多く、日本人だけではなく他国民も犠牲になったことが関係しているのではないかと感じた。これほどの惨劇が起きたのに、いまだ核保有国が数多くあるということ、また驚いた事実だが、日本がそれに反対しきれていないというのが悲しいことだと感じた。
現地の人と他県の人との認識の差を感じた世界大会だったので、これを機にその差を埋められるように、名古屋にも広められれば良いと思う。
爆風で変形したガラス瓶
今回私は初めて原爆のことについて、しっかりと場を設けられた中で話を伺うことができました。
大会では、当時原爆を経験している方が実際の体験談を話されたり、大会のPRをしながら全国から徒歩で広島まで向かったり、歌や楽器によって平和を訴えたり、原水爆の実験の被害を受けたマーシャル諸島との連携の必要性を訴えたりと、様々な方法で原爆の悲惨さを訴えていました。
そのような場で、私は原爆の被害の大きさと生き残った人々に与えられた身体的、精神的な大きな傷を知ることができ、この経験をさらに他の人々に伝えないといけないと感じましたが、広島、長崎への原爆投下から69年経過し、原爆の惨状を経験していない私が他の同じように経験していない人々に本当にその惨状を伝えていけるのか、その方法を考えていかないといけないと感じました。
代表団のみなさん